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【787節:2014野球】開幕前夜 [千葉ロッテ]

前略。

私は、千葉ロッテマリーンズのファンで、
職場が幕張に近いときは年間30回ほどホーム球場で応援していた時期がある。

友人の強い勧めがきっかけだが、
なぜ「私が」がそれ程足繁く通うようになったのか?
この執筆を機に一度思い返してみることにした。

以前は、父の影響で長嶋・王が在籍していた球団を敬愛し応援していた。
あの球団は、「スター」を擁立することを球団の団是としており、
そのため現在においてもキラ星の如く圧倒的に戦闘力の高い選手を有している。

理だけで考えれば負ける確率はほぼ0となるはずである。
しかし、多くの場合「結果」はそうならない。
野球などのチームスポーツは、
選手を始めとした総合力の結集が結果に結びつくのであり、
「そうではなにか」を探すことは大いに有意義なことだ。

(1)チームプレーでやっていることが、他方からみて「よく解る」チームであること
 4番打者とエースのみで構成されたチームは、試合が大味となる。
 拠り所が過度に高くなると、チームはそれを頼ろうする。
 すると流れが悪くなり、「かちにつながる流れ」が見えづらくなる。
 「誰にも頼らない集団」は、個々の力以上に強くて厚く面白く見えるものだと思う。
 他方とは、対戦相手であり、そして観客である。

(2)(誰かが造った)作品を観るのではなくて、直接、その時の空気を感じるということ
 さりとて、野球プレーヤーとはやはり個人商店なのである。
 成績が思わしくなれれば商店は市場より強制的に退場を余儀なくされる。
 自分の売り物を査定評価するのはファンではなく球団である。
 限られた(そしておそらくは短い)才能を高く買ってくれるところを目指すことを
 阻むことは自由競争世界では許されない。
 野球と同様に、会社も「シナリオ」はない。
 軸足を球団にするのか、ファンにするのか、はたまた「自分の野球道」
 とするのか、そのバランスは、テレビでは垣間みることはできない。
 対象となる人間の全ての所作を、直接隈なく観察する必要が出てくる。
「見ていないのに、何が語れるというのか?」
 したがって、現場にいくしかないのである。。

(3)圧倒的に強力な「応援」団がいること
 一度でもロッテの試合を球場で見たことがある観客は、
「パ・リーグで一番熱烈な応援団はどこか?」の問に困ることは無いはずだ。
 選手のプレーだけでなく、観客のパフォーマンスを楽しめるのが
 球場ライブの醍醐味である。
 プロ野球のパフォーマンスとは、フェアグラウンドだけで行われているわけではない。
 『日本一を目指す球団は、応援団も日本一で在らねばならない。』
 という気概を感じ、観ていて清々しく感じる。
 現場に行き解るのは、
(声援があるからこそ、選手は力を発揮できるのである。)
 その言葉の意味をひたひたと感じる。

などと、書いていたら紙面が尽きてしまった。
本編の読者が「野球」に興味がなくても、
(他のこと)でまったく同じことが云えるのではないか?
そう強く思います。

・・・もうすぐ、シーズンが始まる。
2014-02-16-10-57.jpg

校了

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